江戸時代から続く奈良の伝統行事「若草山山焼き」。
若草山は奈良公園内にある山ですが、3つの山が重なって見えることから「三笠山」とも呼ばれています。
隣にある春日山には樹木が生えていますが、若草山は33ヘクタールの芝生で覆われた草山。
鎌倉時代に農民が野焼きを行ったという記録が残されており、その頃からすでに草山の姿だったそう。
もともと「山焼き」には、病害虫を駆除して、灰を肥料にするという農業のメリットを重視した目的がありますが、若草山山焼きは、少し意味合いが違います。
「若草山山焼き」は、春日大社、東大寺、興福寺の神仏が参集し、先人の鎮魂と慰霊を執り行う「神事」。
ここで言う「先人」とは、若草山山頂にある「鶯塚古墳」の霊魂を指すとされていますが、誰のお墓かははっきりとわかっていません。
また、若草山山焼きには奈良全体の防災、世界の人々の平安を祈るという意味も込められています
佐保川は奈良市を代表する川であり、市街地の東方に広がる山間部に源流を持つ一級河川。佐保川周辺は奈良市の中心部を南北約5kmに渡って広がり、途切れることなく見事な桜の木が広がっています。佐保川の桜は奈良市内で最大で、県内でも有数の桜の名所として知られています。並木道を横断する人々に終わりはありません。
この桜の列の歴史全体について多くの未知の点がありますが、江戸時代の終わりには、奈良の治安判事として今でも尊敬される「川路利明」が山林と東大寺周辺の維持であると言われています植林などの樹木の維持管理の一環として植えられたものに由来している。今でも、桜の北端近くのJR関西本線の交差点付近には、川路時代に植えられたと言われる170歳の素晴らしいソメイヨシノ「川地桜」が地域に残っていますメンテナンスと管理は努力によって行われます。
高見の郷 4月
東吉野村 しだれ桜
Nara Park 奈良公園
Nara Park 奈良公園全域 2005/08撮影
Nara Park 奈良公園
Umamikyuryo Park 県営馬見丘陵公園
Umamikyuryo Park Flower bud 県営馬見丘陵公園
Umamikyuryo Park Flower bud 県営馬見丘陵公園
高田川畔の千本桜は、市制施行の1948年(昭和23年)に植樹されたものです。
樹齢70年を超え、年輪を重ねた見事な桜並木を見ることができます。
3月下旬から4月上旬にかけては、大中公園を中心に川の両岸南北2.5キロメートルにわたり、見事な花が続きます。
夕闇とともに、ぼんぼりがともり、ライトアップされた夜桜を見物する人の波は絶えることがなく、桜の下で、楽しく、にぎやかに、宴が開かれます。
近年、高田川畔の 千本桜は、近鉄沿線の桜の名所としても知られるようになり、桜見物のつかれを近くの「高田温泉さくら荘」でいやすなど、手軽な行楽コースがおすすめです。
橿原市・貝吹山の東峰にある巨大な花崗岩の石造物です。南北約8m、東西約11m、高さ約4.7m。上部に一辺約1.6m、深さ約1.2mの穴が空けられていますが、誰が何のために作ったのか、その正体は謎に包まれています。
室生寺(むろうじ、muroji)は、奈良県宇陀市にある真言宗室生寺派大本山の寺院。本尊は如意輪観音。山号を宀一山(べんいちさん)と号する。奈良盆地の東方、三重県境に近い室生の地にある山岳寺院である。宇陀川の支流室生川の北岸にある室生山の山麓から中腹に堂塔が散在する。平安時代前期の建築や仏像を伝え、境内はシャクナゲの名所としても知られる。女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣が許されていたことから「女人高野」の別名がある。なお、山号の「宀一」は「室」のうかんむりと「生」の最後の一画だという。仏塔古寺十八尊第18番札所。
創建は明らかではないが、寺伝によれば奈良時代、天武天皇の発願により役小角が創建、その後、空海が真言宗の道場の一つとして再興したと伝える。また、「続日本紀」では、宝亀8(777)年、山部親王(後の桓武天皇)の病気平癒を願って、興福寺の大僧都賢璟ら浄行5人が室生山中で「延寿法」を修したところ病気は回復した。その後、賢璟は、天皇の命を受け、室生山寺を創建したとされる。当時、室生山一帯は山林修行の霊地として独特の宗教圏を形成していた。賢璟は、法相宗の唯識を学んだ碩学だったが、鑑真に深く帰依し、律宗の教学も学んだ。平城遷都に際しては、地相を占ったことでも知られる。延暦12(793)年に入寂したと伝わる。賢璟の跡を継いだのが、同じ興福寺出身の修円で、平安時代の初めに入山。現在の寺観を整えた。修円は、比叡山延暦寺を開いた最澄とも親交が深く、最澄から密教の伝法儀式を受けた。
吉野山(よしのやま)は奈良県の中央部・吉野郡吉野町にある吉野川(紀の川)南岸から大峰山脈へと南北に続く約8キロメートルに及ぶ尾根続きの山稜の総称、または金峯山寺を中心とした社寺が点在する地域の広域地名である。
古くから花の名所として知られており、その中でも特に桜は有名で、かつては豊臣秀吉が花見に来た事がある(後述)。現代でも桜が咲く季節になると花見の観光客で賑わう。地域ごとに下千本(しもせんぼん)、中千本(なかせんぼん)、上千本(かみせんぼん)、奥千本(おくせんぼん)と呼ばれている。
賀名生梅林は、丘陵を麓から中腹までおおいつくすように2万本の梅が咲き誇る県下有数の梅林として知られています。2月下旬から3月下旬、さながら雲海のように梅の花がほころび、ほのかな香りが、山々を伝うように漂ってきます。
700年前の南北朝時代に都を追われた公家たちによって賀名生の梅の花が歌に詠まれているところからも、既にこの地の梅が香り高く咲き誇っていたことが分かります。さらに明治10年頃から果実の収穫を目的として栽培され始め、大正12年東宮殿下の御成婚を記念して5千本の苗が植えられ、その後大きく増殖されて、賀名生の梅林として知られるようになりました。純白や淡い紅色の梅の花は早春の陽光を浴びて、爽やかで壮観な風景を展開させます。
この鍾乳洞は昭和八年に橋本広吉翁によって発見され、井口晃翁、大谷実太郎翁三氏の結集したご尽力で五年の歳月をかけ、海抜八七八mの高地の岩屋発掘に成功致しました。この付近一帯は石灰岩を含む水成岩の地帯であり、石灰岩は水に浸蝕や風化されやすく、そのために、長い長い歳月の間に岩が少しずつ削られて、浸蝕や風化が進み堆積した地形が出来る。これを「カルスト地形」と云います。 またこうした岩山の中では、雨水に含まれている「炭酸ガス」(二酸化炭素)が石灰岩の岩の割れ目を溶かし、更に割れ目を大きく広げ、しだいに大きな空洞を作っていく、こうして出来たのが鍾乳洞であります。鍾乳石はどうして出来るのか?石灰分と炭酸ガスを含んだ水滴「炭酸石灰」を長い間沈殿させて、つららの様に垂れたり流れたりして、これが釣鍾や乳房の様な形を作るから、鍾乳石と云います。
また、鍾乳石や石筍が1cm伸びるには百年とも二百年とも云う歳月が、かかると云われています。面不動鍾乳洞内は無風で、洞内の平均気温は8度と云われ、ストロー鍾乳管(ストロー状の鍾乳石)が特に貴重で、地中探訪280メートルの夢の宮殿が広がっています。
鍾乳洞へ向かうまでは、トロッコ(有料)を利用して向かうことも可能です。
谷瀬の吊り橋は昭和29年に村人の力で架けられた、長さ297m、高さ54mの生活用としては日本一長い吊り橋です。揺れる橋を渡るには勇気が必要ですが、渓谷に沿って連なる山々や橋下を流れる美しい川は、ここでしか見られない十津川の眺望です。危ないので一度に20名以上は渡れません。付近には駐車場や土産物店、橋下にはキャンプ場もあります。
寛文3(1663)年、大和小泉藩主片桐貞昌が父の菩提を弔うために建立。片桐貞昌は片桐且元の甥にあたり、石州流茶道の祖。茅葺き入母屋造りの書院(重要文化財)は簡素ななかにも風格があり、大和三名園(竹林院、當麻寺中之坊庭園)と賞される美しい枯山水庭園(史跡・名勝)をもつ。この庭園の白砂とサツキの大刈込み、大和平野を一望できる借景はあまりにも有名。茶室としては、書院の角隅に高林庵(重要文化財)と、閑茶室(重要文化財)がある。
近鉄大阪線・室生口大野駅の南東7Kmほどの室生に鎮座している。室生川沿いに28号線を走り、室生寺の先に境内がある。
境内入口の鳥居の脇に巨木が聳え、境内右手には連理の杉、境内の奥に入母屋造の拝殿があり、拝殿の後方、朱の瑞垣の中に、朱の美しい本殿。瑞垣の前に、小さな境内社の祠(道主貴社、手力男社)が祀られている。
今では、室生寺の方が有名だが、室生寺は、当社の神宮寺とも呼ばれ、龍王寺と呼ばれた時期もあるらしい。
創祀年代は不詳。現在の祭神は、高靇神だが、拝殿には「善女龍王社」とある。
弘法大師が神仙苑に雨乞いを行った際に現れた龍王で、その形像は、雲に乗る竜神の背に立つ唐の官人の姿に描かれ、その左手には宝珠を盛った鉢を持つ。龍そのものではなく、龍を統べる女神。
大和富士「額井岳」の山腹、標高530mの山中に頂から流れる小川の水や湧水を自然に貯めた神秘的な池です。
古くから貴重な水源、信仰の地として大切に守られてきた池であり、風が無いと鏡のようになった水面に周囲の山を映すことから、アマチュア写真家などにも人気がある場所です。
駐車場の近くに休憩所(東屋)があるほか、奥には堀越神社があり、豊玉姫命(とよたまひめのみこと )が祀られています。
また近年、遊歩道と橋で池を一周できるように整備されました。遊歩道の途中は場所によっては湿原のようになっているのですが、足場が悪いところもあるので注意が必要です。
夏場は、マムシやスズメバチに、また四季を通じて野生動物にも注意が必要です。神社の立て看板があり、釣りは禁止されています。
正暦寺には、3000本を超える楓が山内にあります。秋、11月になるとそれらが順番に色づいて紅葉していきます。木々の緑と黄色や赤の紅葉が織り交ざって、山内をあでやかに染める様は錦の色に見えます。このことから、正暦寺は古来より『錦の里』と呼ばれてきました。また、秋から冬にかけては1000株以上の南天が赤い実をつけて参道を染めます。紅葉と並んで南天の実の色づきの素晴らしさは圧巻です。
古くからよく知られる梅林で、日本政府が最初に指定した名勝の一つです。
金沢の兼六園や奈良公園とともに日本最初の名勝に指定されました。
梅の名所「月ヶ瀬」の中央には渓谷美を描きながら五月川が流れ、その両岸に約1万本の梅樹が立ち並びます。この地は「月ヶ瀬梅渓」と言われ、大正11年には名勝地に指定。シーズンになると梅の花を目当てに川沿いを散策する人々が見られます。また、無数の梅が咲き競う姿にまばゆさを感じながら歩く人も。休憩しながら、梅グルメやお餅、山の幸、お茶などがお店でも楽しめます。
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